IFについて考えてみた。

どっかの会社(ワコムかなー)がペンタブレットのリリース時に、今後のマウスやキーボードの変わりを目指すと、言うような趣旨の発言をしていたんですよ。で、新世代の入力方式と言うのは割合キャッチーな話題だったりするので、それらについてつらつらを考えていて、思い付いた事があったのです。
それはキーボードは0次元の入力方式では無いか?とゆー事。つまりキーボードはボタンの羅列であって、基本的には「点」を打つか、打たないか、が入力なのですね。これらの「点」を繋げるとコンソールや文章等の直線的な入力(一次元?)になるとゆー感じ。
マウスやGUIが生まれるまでは入力領域は一次元だったので、キーボードだけで良かったのだと思います。そんで、GUIが生まれると入力領域は二次元的に使われる事になって、縦横に動かせる二次元的な入力(=マウス)が必須になったのだと思いました。確か一番最初のGUIを備えたPC(AltoはPCか?)にはマウスがあって、GUIとマウスは一緒に発明されたはずですし。
つまり入力方法の進化は表現方法と同期して進むのであって、今後の革命的な入力方法は革命的な表現方法(3Dでの表現とか?)まで現れない、とゆー考え方が出来るんじゃないですかね。で、その先をつらつら考えると、Looking Glassなんかは少なくとも二次元のモニタを使用している以上、モニタ上に擬似的な3Dを作り出してもそれは革命的な表現方法とはならないんじゃないかな?(でも面白そうだし、そこそこ使えるかもしれないけど)。そもそも人間の目は世界を三次元として認識するよりは「二次元+各点の距離情報」として認識しているような気がします。人間(最終的な入力装置)が二次元である以上は表現方法も二次元を超えるものは大成せず、結果入力方法も二次元のままとなると思ったのですね。うむむ…。
だけど映画[MJ]で主人公がグローブ型のインターフェースを両手にはめて、フォルダやネットワークを目に見える形で操作していたのはなかなかわくわくした。あれは面白そうだ(ただし、すごく疲れそうだけど)。