環境危機をあおってはいけない:ビョルン・ロンボルグ, 山形 浩生

環境危機をあおってはいけない 地球環境のホントの実態僕は子供の頃、世の中で一番怖いものは「環境破壊」だった。熱心な学研(5年の科学とか)の読者だった僕は、雑誌の中で繰り返される地球温暖化、干ばつ、異常気象等についての記事を読んでは、何処にも逃げ道のない怖さというのを感じて、夜中に布団の中で震えていた。今でも新聞を広げれば、今年の暑さは異常気象だとか、今年の冷夏は異常気象だとか、環境ホルモンだとか、なんだかんだと環境保護団体の偉い人たちは口から唾をまき散らさんばかりに警鐘を酷く叩き続ける。

だけど、僕は大人になってそれを疑うだけの心構えというものを手に入れた。彼らの紋切り型の話、まるでテンプレートの様に「人間が開発のために自然を犠牲にした」→「だから○○が発生した」→「このままだと後、○○年後には地球は○○になってしまう」→「だから人間は自らの行いを恥じて、過去の生活に戻らなくてはいけない」等と繰り返される話を前にして、ただの自然愛護以上の「胡散臭さ」を感じてしまう。

この「環境危機をあおってはいけない」はそう言った「胡散臭さ」への最高の解答足り得ると思う。国連やその他の信頼できる機関が発表した資料を基に、ほぼ全ての環境問題(食料、温暖化、ゴミ、公害、農薬、海面上昇、その他)について改めて「現在の正確な地球の姿」を描き出している。それらの前では「農薬は体に悪いから廃止しなくてはならない」等という根拠もリスクマネージも出来ていない発言は一蹴される。それはつまり、「農薬はどれくらい体に悪い?死亡リスクをどれくらい高める?」から始まり「では、農薬を使わないとどれくらい世界は良くなる?」となり「逆に農薬を使わないとどれくらい世界は『悪く』なる?」となる。結論を言えば、農薬が死亡リスクを高めたとしても、一日に三杯飲むコーヒーの方が何倍も何十倍も人間に取っては危険であり、農薬を使わない事は、野菜の生産性低下による供給値段の上昇を招き、野菜を取らない事によるガンの発生率を押し上げ、結局は「より多くの人間を殺す」のである。そう、人が冷静に判断をすれば「農薬を全く使わない」等という馬鹿げた判断はあり得ないのだ(もちろんアレルギーなどは有るだろうが、それは環境とは別の判断だ)。

人は流されやすい。一見、高尚で社会的だと思えるような事柄に対しては大して検証することもなく、それを受け入れてしまうし、それらの活動を行うことに喜びさえ感じてしまう。しかし真に自分たちの子孫へ最上の未来を残したいのなら、そう言ったつまらない感傷に流されるべきでは無い。自らの現在を冷静に見つめ、最も適当と思われるオプションを選ぶべきだ。決して温暖化を6年くい止めるためだけに、大量の資金を投じるべきでは無く、それは今、上水と食料へのアクセスが無いために死んでいっている沢山の同胞の為に費やす、といった事だって検討できるはずだ。人間が生み出せるリソースはこの数世紀で飛躍的に上昇したが、それでもそれは限られている。つまらない一時の感情に流されて無駄にすべきでは無い。それを判断できるだけの情報を僕らは持っている。

作者は本文を通じて、希望と自信を持って未来を選ぶ事を教えてくれる。この本は分厚くて、資料だらけで決して読みやすいとは言えないけど、全ての人に読んで欲しいと思う(ちょっと言い過ぎかなぁ…)。つまらない流言に惑わされて、毎日を不安の中で生きていくなんてつまらないから。

少年時代の僕にもこれを渡して毎晩の恐れを取り除いてあげたいと思った。

【お勧め】★★★★☆

(04/08/31追記)一方的な口調になるのもアレなので、本書に対してエネルギー面からコメントしたページを挙げます。本書を鵜呑みにしてはいけないとゆーのは作者自身のメッセージでもあるので、参照してみると良いと思います。

ビョルン・ロンボルグ著 『環境危機をあおってはいけない』The Skeptical environmentalistに関する幾つかのコメント