となり町戦争:三崎亜記

となり町戦争日常の生活に行政の施策の一環として、戦争が始まった話。確かにそれっぽい変化は会ったけど、僕はそれにリアルを感じられず…という感じです。昔、パトレイバー2(劇場版)の中で「戦争はいつだってリアルなんかじゃない」と言う意味の事を登場人物が語っていましたけど、目に見える「戦争」と言うのは何処にもないのです。
戦争と言うのは「国またはそれに類する行政団体が、他の行政団体へ武力的背景を持って外交を行う状態」ですから、基本的には目に見えるものではありません。戦闘は戦争とイコールでは無いですし、武器や兵隊さんはそれ自体は戦争でもなんでもありません(自衛隊とか)。人が死ぬことも、殺されることも、硝煙の匂いも爆撃の音も、それは戦争ではなくてただの行為とその結果なのだと思うのです。
丁度、「幸せ」に「戦争」は似ていると思います。皆が知っていて、一定の思いを持っていて、だけどそれは目に見えず、感じられても触れない、そんな掴み所の無いものなのです。だから主人公が一生懸命を「目に見える戦争」を探したとしても、それは見付からないのです。決して、行政が隠している訳ではなく。
この本が何を目的として書かれたのか、その厳密な目標は判りませんが、アメリカが開始している対テロ戦争に関係がある事は明白です。TVゲーム・ウォーに結び付いているかのような、現実感を感じさせない戦争の姿。かなり直接的な皮肉だと思います。とは言え、この本に明確な結末はありません。日常から生まれた戦争は、僕らに何も伝えないまま消えて行き、僕らは日常に戻る。世界は何の示唆も与えてはくれず、自ら意味づけをしなくてはいけない、そう言った事なのだと思います。
恐らく、対テロ戦争へのオマージュと言うのは一方的な見方であって、本当に作者が言いたかったのは「日常こそが戦争だ」と言う、言葉にすれば余りにも嘘臭い事実、なのも知れません。作中で香西さんが語る「業務」は僕らの日常にも当てはまります。全てを満たすことは出来ず、何事にも時間が掛かって、面倒な日常。そう言った中で静かに行われる「個人間の戦争」。意味を見いだせなくても戦わなくてはならない「日常」と戦時は、とても似ていると思います。
【お勧め】★★★☆☆(色々考えてしまいました)