流星ワゴン:重松清

流星ワゴン (講談社文庫)「流星ワゴン」はありきたりな不幸に見舞われ、家庭崩壊を引き起こし、絶望と後悔のどん底にいる男が主人公です。彼が夜、家に帰ることも出来ずに駅のロータリーで佇んでいると、一台のワゴンが彼を迎えに来ます。もう死んだハズの親子が運転するワゴン。彼はそれに乗り、人生の転換点を再体験する為、出発しました。
僕の人生訓に「反省しても後悔しない」と言うのがあるのですが、そうは言っても、人生において後悔無く生きて行くなんてのは、まず無理な話な訳で、失敗をすれば反省しつつも悔やんでしまうのです。あの時もっと冷静になれたら、もっと人の気持ちを解って揚げられれば、なんてね。そうやって人は沢山の後悔を心の底に沈めて、普段は忘れたような顔をして生きていくのです。だけれども、もしその一瞬に戻る事が出来たら?決してやり直す事は出来ないし、現実は変わらない。でも今日まで悔いてきた「その日」をまた過ごす事が出来たら、自分は何をすれば良いのだろうか、この本はそういった場面が沢山出てきます。
本の主題は「やり直し」と「家庭(特に父親)」に絞られます。奥さんも問題を抱えていますが、それについて深く追求される事は無く、ただそれはあるものとして扱われる所からも、作者の意図は上記の2点に絞られてくると思います。
父親と息子の関係は難しいものです。最初は家庭の管理者と被管理者として、そして年を重ねてくると息子は父親が完璧で無いことを知り、そして自分自身も父親になり、一種の友人とも言える関係になります。これは母と娘は(古風な家庭であれば)最初から被管理者であり、先輩後輩として関係を築いて行く点で父親と息子との関係とは違いますし、息子にとって母親は一生、母親のままです。
そして、作中に出てくる3組の親子はそれぞれ大小の問題を抱えています。問題を起こすのは簡単で、だけどそれを解決するのはとても難しいし、時間が掛かります。でも、二人の関係において二人が歩み寄らなければ問題は解決しません。どれだけ後悔しようとも、永遠にそのままだと思うのです。物語の中で3組の親子の当事者達はぶつかりながらも「流星ワゴン」と言う非日常の力を借りて、少しずつ歩み寄って行きます。それは作者の優しさだと思いますし、それがメッセージなのかも知れません。「僕らにはワゴンは来ない、でも歩み寄っていかなければならない」と言う。
文章は癖が無いし、重くなりがちな物語も少年と主人公の父親のお陰でそれほど悲壮感が全面的に出てくることも無く、非常に誰にとっても読みやすいと思いますのでお勧めです。だけど僕は三十台の新人父親(およびその予備軍)に読んで欲しいな、と思いました。面白かったです!
【お勧め】★★★★☆(最大公約数的にも面白いような気がする)