秘めたる空戦―三式戦「飛燕」の死闘:松本 良男, 幾瀬 勝彬

秘めたる空戦新装版 三式戦「飛燕」の死闘 (光人社NF文庫) [ 松本良男 ]太平洋戦争中、南洋の空で三式戦闘機「飛燕」を駆って、幾度の戦いを潜り抜けてきた筆者による空戦記です。

この本は「戦闘機「飛燕」技術開発の戦い」か何かの中で引用されていて見つけたのですが(ちょっとうろ覚え)、その筋方面では割と有名な本だったようです。他の空戦記物とはかなり雰囲気が違って、それがこの本を面白く、また他から際立たせています。

この本で一番に感じるのは、空の戦闘に強い臨場感がある事です。僕は当事者で無いので戦闘の時間間隔や呼吸感は、普通の戦記物を読んでも中々実感出来ないのですが、この本では具体的な数字(敵は2時の方向で、高度3000m距離2000m、このままだと2分後に敵の横腹から高度差500mで突っ込む形になると言った様な)で書かれている為、まるで目で直接見るように戦闘の流れを感じられます。

搭乗員の気持ちの動きについても、敵機の後ろについてから急上昇の頂上で打ち落とすまでの僅か20秒の間に、搭乗員は敵を追い詰める作戦立案、他の敵機の警戒、敵を倒す時の逡巡、自分の攻撃後の動きについてまで様々な事を考えているのです。空戦といえば一瞬に勝負が決まるイメージが強いですが、実際には数分の位置取りの為の計算高い運動と、一瞬の射撃で戦いは進むのだな、と伝わってきました、

戦闘以外の記述でも主人公を取り巻く103中隊の面々や馴染みの将校クラブの女性が、とても生き生きと描かれていて素晴らしいです。
特に中隊長のべらんめぇ口調で豪胆ながらも、戦闘が始ると何手先も読みきって、各小隊を良く指揮し敵を追い詰める様子は目を見張るようです。そして戦闘が終われば、働きの良い隊員は地上勤務/搭乗勤務に関わらず、皆の前でその功績を称えるなど、非常に強い求心力も見て取れます。
また普通の戦記物では触れられにくい、従軍慰安婦についてもきちんと触れられており、将校と慰安婦の立場ながら男女の心の交流が情緒的に描かれていて、戦地の雰囲気が伝わってくるようです。特に慰安婦に悲惨な面が有った事を認めつつも、懇意になった慰安婦と一緒に家を借りる話が出てくるなど、悲惨なだけでは無かった事を書いているのに好感が持てました。

僕は基本的に戦記物の人物や戦闘の結果より、そこで使われた機材に興味が行きやすいのですが、この本はその面でも非常に興味深い記述が多いです。特に量産型の飛燕を受領した際*1に性能向上を目的とした大改造をやってしまう辺りなど、まるでゲームのようです。

一点気になったのは、話の後半で飛燕一型乙が補給されるのですが、機首が伸びて垂直尾翼の前縁傾きが緩やかになっている機があるのです。これって飛燕II型の特徴(エンジンをハ−40からハ−140に換装して、主翼垂直尾翼をリファイン)と一致するんですね。
II型のエンジン(ハ−140)の量産型が工場に納入され始めたのが1944年6月(調べた)、機体の製造年月は本書によれば1944年3月、納入が8月頃ですので、これはII型そのものか、II型改、またはII型の機体にI型のハ−40を搭載した機の可能性があります。主翼の形に関する記述が無い所、また納入当初から故障が多かった(=ハ−140搭載?)と言う表現をあわせると、II型改かも知れません。

最後にこの本の位置づけですが、基本的にはノンフィクションの形を取ってはいるが、完全な史実ではなく脚色などが入っているのでは?との見方が多いようです。確かに中隊長や整備曹長との交流や機体の大改造は余りにドラマチックと言えるかもしれません。
ただ、どちらであっても冷静沈着に腹を括り、歴戦を最後まで戦い続けたこの物語の輝きは寸分も失われないと思います。僕は筆者を始めとした103中隊の面々が厳しい状況の中、良く士気を保って戦ったのだと思いたいです。

【お勧め】★★★★★(未整理な部分はあるけど素晴らしいの一言、読め!)

*1:筆者の部隊は当初、追加試作機を使っていたように見えます。川崎の技術陣が中隊に同行していたとの記載もあり、追加試作を使っていたこと、整備難で有名な飛燕にも関わらず故障の話が出てこない事も、筋が通っているようです。